2021-10-24 10:22:50
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コメント(4)
おはようございます。もしくはこんにちは。
今日も歴史について書いてみます。
まずは古代から。
弥生時代はどうかな。
この時代で有名といったら卑弥呼女王ですね。
卑弥呼女王の記述は魏志倭人伝で出てきます。
ちなみに卑弥呼という名前は彼女の実名ではありません。
たぶん、姫巫女を間違えて卑弥呼になったのではと言われています。
また、卑弥呼女王が治めていた邪馬台国がどこにあったのか?
それも九州説や関西説などありますが。
はっきりとはわかっていないのが現状です。
卑弥呼女王のお墓と言われているのは現在、箸墓古墳の可能性が高いようですね。
発掘調査がもっと進んだら他にわかる事も色々とわかるでしょうが。
さて。卑弥呼女王は霊力が強く占いが得意だったとか。
彼女の占いはよく当たりその事から邪馬台国の王に選ばれたと言われています。
卑弥呼女王は当時の中国の大国である魏に使者やたくさんの品を遣わした事もよく知られていますね。
ところが。卑弥呼女王にも暗雲が立ち込めます。ある年に二回も皆既日食が起こりました。
それを当時の人々は不吉な兆しだと捉えます。
他国との戦いにも負ける事が重なりました。
これにより卑弥呼女王は暗殺されたと言われています。
戦に負けた責任を取らされたとも言えますね。
次に王になったのは卑弥呼女王の弟でした。
ところがこの王は悪政を強いて邪馬台国を荒れさせます。家臣達も最初は従っていましたが。
何年か経つうちに不満が溜まっていったのでしょうか。
王はとうとう反旗を翻した家臣達に討ち取られます。
次代の王になったのは卑弥呼女王の親族の少女でした。
名を台与(とよ)といい、卑弥呼女王と同じように霊力の強い女性です。
彼女の代になりやっと邪馬台国は平和になったとか。
ちなみに台与は後に大和政権の大王に嫁いだのではと言われています。
欝色謎命(うつしこめのみこと)という名の妃がいたと古事記などにはあるようで。
どうやら、台与なのでは?とおっしゃる学者の先生がいたのを今でも覚えています。
……長々と失礼しました。
それでは。お読みいただき、ありがとうございましたm(_ _)m
本日は弥生ですか!
弥生や縄文は古生物学的で、学校でも楽しめたのです。
あっという間に終わって、大化の改新へ。
239年あたりをもっと教えてくださ~い!な気分でしたの。
魏志倭人伝。
中国らしいと言えばそうですが、表現が大袈裟なので真偽も怪しい…。
卑弥呼さん、複数人説や季節で移動していた説などありますね。
女性が活躍するお話は、何だかワクワクしますね。
(弟にまかせたらダメだった話も含めて!)
詳しい調査はトカナに任せようかと思います。